TMDファイナルケーブル論




TMDファイナルケーブル序論:

オーディオというものは、様々な要因の組み合わせで最終的な音が決定されるが、要素によって、影響の大きさや方向性は異なる。

そのなかでも特にトランスが音色を決定するということは経験的によく知られているところであり、WEなどのヴィンテージトランスを組み合わせることで好みの音色を作り上げる。

しかしヴィンテージトランスは高価であるだけでなく玉石混合であり、満足のいく結果をだすためには時間もお金もかかる。

TMDファイナルケーブルを一言で表現するならば、本来であれば音源ごとに必要となるこのようなトランスの選定、組み合わせの作業をどのような音源においても平均的に最良となるように調整し、それらを1つのケーブルに集約したものであり、一般的な「ケーブル」の効果とは一線を画する。

バッハ研究家・新妻雅弘



各論 GA :Grigg's & Apps

オーディオというものは、演奏者の表現した「本質」を今ここに再現する芸術である。

それは細部の音がこうであるとか、どうであるということではなく、視聴者が、演奏者が表現せんとしていた「本質」を自己の内部に発見できるかどうかである。

この「本質」を決定づけるには細部の描写が重要なのだが、GAはその「本質」の再現に直結する要素を的確に抽出し、拡大する。その結果、視聴者は、「過去」であるはずの演奏行為を今ここでおこったこととして、強烈な経験をすることになるのだ。

古い録音であれば特に、このような「本質再現」に直結する要素が薄くなったりぼやけてしまって、なかなかその本質を強烈に経験できない。GAはこのぼやけてしまった「本質」を的確に再生する。このような効果のあるケーブルは稀である。

その音質は密度が濃く、硬質でエネルギッシュだ。まるでアナログのMMカートリッジを最適にチューニングしたときに聞くことのできる硬質かつ長時間聞いても疲れない柔らかい音なのである。

ケーブルを取り替えるだけでこの音をCDで聞くことができるのであるから、CDよりアナログとお考えの方には是非一聴をおすすめしたい。
万能なケーブルではあるが、特に古楽などのジャンルとの相性は抜群であり、古楽趣味の音楽愛好家にとって購入は必須だ。このケーブルをつかえば作曲者や演奏家に最大限の敬意を払ったことになるだろう。



各論 VGA :Vollkommen Grigg's & Apps

特にこのVGAというケーブルは、「原音再生」とはなんなのかということを考えさせてくれる。一般的に言って、「原音」とは音源の音をそのまま再現することと考えがちであるが本当にそうだろうか?

マイクや再生装置などの媒介物によって、録音自体を再現することはもはや「原音」とは呼べない。また、そのような媒介物がなかったとしても、私達が音楽を聞いているとき、物理的な音自体を聞いているだろうか?雨の音を聞いてつい涙ぐんでしまうこともあるように、私達が「音楽」を聞くというとき、それは物理的な音を聞いてはいない。むしろ物理的な音を刺激として、自己の内側に演奏者の表現せんとする「本質」を追体験することが音楽なのであり、原音という言葉は、実際の物理的な音を指してはいないのだ。

再生音楽というものをこのように考えたとき、VGAは究極の「原音再生」を可能にするケーブルであると言える。というのもVGAの音は、物理的な録音された音の忠実な再現ではなく、むしろ、演奏者、さらには作曲者が表現したかった「本質」のレベルまで遡り、その「本質」の追体験に必要な要素を「追加」して再生するからである。

しかし「追加」といっても、原音に何かを付け加えたような印象はなく、不自然なところがあるわけではない。むしろ、その音と気配の自然さに知らないうちに1枚のCDを聞き終わってしまっている、そんなケーブルなのだ。それほどまでに、強烈に視聴者を集中させる力があるのは、TMDの長年の経験によって培われた職人技による素材の組み合わせの妙としか言いようがないだろう。

上記の様な求心力のある密度と硬質さに加えて、VGAは特にチェンバロにおけるリュートストップや4フィートを加えたような高域の色気が表現される点に特徴があり、聞くことを止めることができないほどだ。

すべての音像が明確化し、それによって楽器一つ一つが実態をもって浮き出てくる。これにより「生」という感覚が再生されるのだが、VGAはさらにWEなどのトランスによって調整できるような独自の広がりを持った音場感をも表現してしまう。

まさに奇跡のケーブルであり、真摯に音を求める方には是非一聴をお薦めしたい